祈念行脚      教会長
  

 平成28年までの間に43年間続けられてきた「金光教沖縄遺骨収集奉仕団」による、遺骨収集奉仕活動が収束しました。そこまで金光教信徒会連合本部、金光教本部、金光教那覇教会を中心に活動をされてまいりました。最初の奉仕活動が始まった頃、摩文仁の地域(糸満市平和祈念公園、南城市具志頭周辺)の自然壕には、無数のご遺骨が散逸し、当初戦後30年を迎えようとする時期でしたが、それは筆舌尽くしがたい状況がひろがっていたそうです。当時、那覇教会の再興から数年あまり経過していた時期、教会長の林雅信先生の思いは「一片のご遺骨がなくなるまで、この地で不慮にも犠牲になられたお霊様の立ち行きを祈念しながら、この活動のおかげをこうむりたい」との一心で、今日まで活動されてきました。

私は平成17年から28年まで、8回奉仕活動に参加し、その間長男や二男、また金光八尾の卒業生たちも参加してくれて、沖縄に戦後はないとの思いを共にさせていただくことができました。
平成29年以降は、林先生や那覇教会のご信徒の方、また一般のボランティアの方を中心に「祈念行脚」として、活動されています。そして先月15日〜16日の二日間、私は4年ぶりに沖縄遺骨収集奉仕に参加させていただきました。

 最終回で見た摩文仁の奉仕現場は、目を覆うような状況でした。目の前はこれでもかというゴミの山。約40年間、平和祈念公園周辺の崖下は、生活ゴミや粗大ゴミの投棄場所になっていました。このゴミの層の下に、まだまだ遺骨が散逸しているのです。この事実は、沖縄県民の多くの方が知らないそうです。

 今回作業をさせていただいた場所も、厚さ1メートル以上のゴミ(缶やビン、プラスチックや産業廃棄物と見られる鉄やコンクリートの塊)が積もっており、それらを除去して、土や珊瑚の層が出てきたところからの作業でした。まだまだご遺骨がありました。
 今回は、初めて林先生とともに作業をさせていただきましたが、林先生の祈りや思いの深さを一層感じさせていただくことになりました。そして、戦争は悲しみと残酷な跡形しか残さないということを、改めて思い知ることになりました。

 今ある私たちの平和は、沖縄戦の犠牲の上にあるといっても過言ではありません。もっと、本土の人々が沖縄に思いを寄せ、そして平和のありがたみを感謝できる社会になればと切に願います。

 
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