聞ききる 祈りきる   近藤佐枝子

学生の頃、「カウンセリング養成課程」という公開講座を受講していた。これは学生だけではなくて、一般に公開されていた講座で、受講生は会社の人事担当の方や、看護婦さん、寺の住職さん等様々だった。それが学生と一緒に色々な講義を受けたり、合宿を行ったりしていた。中でも一番年下だった私は、わけがわからないながらもあの場所にいたということが、今でも忘れられない大切なものになっている。

  その中でいつもテーマとして掲げられていたものが「受容」ということである。いかに相手を受け入れられるかということ。そこには人間としての好き嫌いや、自分の中の正義とかは一切現わさず、ただただ受け入れるということ。それが可能かということだった。授業では、客観的な自己理解ができていないと、相手を受容することは不可能だということであり、その訓練をしながらも、難しさばかりが先にたっていた。
卒業直前にある先輩から「モモ」という絵本をプレゼントしていただいた。メッセージに「モモが究極のカウンセラーだと思います」と書かれていた。

  確かにモモはただ話を聞くだけで人を助けてしまう。それはなぜかといえば、ただただ話を聞ききるからである。そこには責める気持ちなどなく、ただ淡々となのである。これが受容なのではないかと思う。
いつもこの「モモ」を読み返すと、自分のおこがましさに気づく。というか気づかせていただくのである。自分が他人を批判したり、評価したりすることは間違っているんだと思い変えるようになる。
神様のお役に立たせていただくということは、自分の感情(人間心)を入れずにただ、神様にお伝えし、立ち行きを祈らせていただくことに尽きるのではないかと思うのである。

  でも、これが簡単なようですごく難しいというのも実感している。とくに責める心、足りないところを指摘してしまう自分に気づくと、軽く落ち込んでしまったりもする。ただ、これを常に意識していきたいと思う。

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