基本に立ち返る         教会長

 新年明けましておめでとうございます。本年も「和らぎ」をよろしくお願いいたします。

 12月、ご本部では「布教功労者報徳祭」が執り行われます。普段、ご本部での祭典になかなか参列できない中、12月のお祭りだけはそのチャンスがあるので、「参列届」を提出させていただきました。すると、「調饌員」のご用をするようにとのご命をこうむり、初めて調饌(神前へのお供え物を盛る)のご用をさせていただきました。
 祭場裏の調饌室へ入るのは、学院生時代以来のこと。白衣に紫袴、割烹着をはおって、調饌ご用開始。十数名の全国からのご用奉仕青年教師ととともに、祭場へお供えする果物2台と乾物、そして鯛をしつらえました。

 教会の祭典でしつらえる調饌物は、自分が盛りやすいように、買い物する段階から考えるのですが、本部では準備されたもの(この量がものすごい)を使って盛ります。三方(お供え物を載せる台)は教会のものよりはるかに大きく、正直とても盛りやすいのですが、問題はすべてのお供え物の高さを揃えなければならないことと、正面(参拝者側)と向こう側(神前側)両面を同じように飾らなければならないこと、さらにできるだけ円い形に盛ること。もちろん落ちないようにするためといえ、セロテープなどの余分な器具は一切使用しないことなど、たくさんの制約があるのです。

 学院を卒業した頃は、上で述べたことすべてを理解した上で、教会でのご用に当たっていたのですが、特に私が怠っていたことは、高さを揃えるという観念でした。調饌司の先生が、私が盛った果物を見て「形は最高なんだけど、あと5p高くして…」乾物を見て「きれいなんだけど、この隙間をもう少し整えて…」と指示されます。少し手直しを加え、OKが出たときは、ありがたい気分でいっぱいになりました。

 調饌員の先生方は、神様に喜んでいただけるように、そして真の心がお供えできますようにという思いでご用に当たられます。今回のご用を通して、基本をもう一度見直すことの大切さを痛感しました。前教主金光様は、習字の「一」の字を書く時も、常にお手本を見ながら書かれました。今年一年、基本に立ち返り、教祖様に神習う気持ちを常に忘れずに、信心のけいこを進めさせていただこうと思います。


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