感謝と不足          近藤佐枝子

  先月の中頃、東京に行ってきた。きっかけは見たいお芝居があって、そのチケットが取れたからなのだが、なんのために行ったのかわからないくらい楽しい二日間だった。
 そもそも、そのお芝居が発表されたとき、教会長に行きたいのだと相談すると、「やれるだけやってみたら?チケットが取れたら絶対にお繰り合わせ頂くから」と言われ、チケット取りに奔走した。蓋をあけると取れたチケットが、教会長が教会で御用できる日にピッタリと合い、「安心して行っておいで」と言われた。
 お芝居はとても感動的で、これを見られたことに感謝の気持ちで一杯になった。

 東京では義姉にお世話になった。義姉が東京でお参りしているお教会に、私が学院で同期だった友人が嫁いだので、お参りさせて頂き色々話をした。そしてもちろん義姉ともたくさん話をして、目から鱗というか、人のお役に立つということはどういうことなのかとかなど色々考えるきっかけを頂いた。
 
この旅で感じたことは、ありがたいと感謝する気持ちが、次の感謝を呼び、どんどんと連鎖反応を起こしていくということ。お芝居のチケットが取れて、教会御用に障ることなく見にいけることに感謝することで、義姉に会えるお繰り合わせを頂き、またそれに感謝する気持ちが、友人に会えるお繰り合わせを頂き、そしてそれに感謝していると、たくさんの話をし、話を聞かせて頂くというお繰り合わせを頂いた。教祖様が教えて下さっている感謝の心にはこんな効果があるのだったら、ずっと感謝の気持ちを持ち続けるとすごいおかげにつながっていくだろうし、辛いときでもありがたいことをさがして行けば、物事は好転していくだろうなと思った。

 でも逆もいえるのだと思う。不足が次の不足を呼び、どんどん不足に押しつぶされること、想像するだけでぞっとする。そんな人生はいやだなと思う。
 だから、神様と共にありがたいことをさがして、ありがたい毎日を送りたいと思う。辛くて見つけられないときは、そのまま神様に向かえばきっと神様が教えてくれると思う。それが信心の稽古なのかもしれない。



                              「和らぎ」バックナンバーへ