悲しみが多いほど    教会長

 10月22日に46才にならせていただいた。誕生日を祝ってもらうことは、いくつになってもうれしくありがたいものである。
 さて、私が幼い頃から亡き父に「あんたはな、T教会のS先生と誕生日が一緒なんやで」とよく言われていた。なんでも、いち早く私の誕生をお届けし、名前を付けていただこうと、難波親先生(当時は三代教会長、近藤守道先生=現教会長の父君)の元に参拝した。すると、ご自身の誕生日のお礼参拝で、S先生がお参りされていたそうである。守道先生は、私の誕生を喜んでくださると同時に、父の名前「明」と、同時に誕生日のお礼参拝をされていたS先生の名前を一字取って「正明」と名付けてくださったというエピソードを聞かされたことがある。この話は本当かどうかわからないのであるが、その後、S先生とお会いする機会があると、何度も「正明君と私は誕生日が一緒やからなあ」と、いつもうれしそうにお話くださっていたのがとても印象に残っている。
 私が学院生の時、特別講師として出講くださり、近藤藤守先生のご信心を熱く語ってくださったのも思い出に残っている。教師になって半年あまり経った時に、浪花女子高校のご用にいざなってくださったのもS先生であった。

 そのS先生が8月7日に神上がりされた。
 先生にまつわるお話をすると、きりがないのであるが、なんといっても忘れられないことは、S先生のご長男であるK君が、平成6年10月、金光教学院での修行中に亡くなられたことである。金光八尾の卒業生でもある彼のエピソードは、若くして神上がられたにもかかわらず、父君であるS先生に劣らぬほどすばらしいものがあり、毎年そのエピソードを、後輩にあたる金光八尾の生徒たちにも話している。その中で私は、K君のご葬儀で出棺の際、彼が好きであったという、海援隊の「贈る言葉」が流れていたことが心から離れない。
 歌詞の中で「人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだから」という一節がある。
 死別という悲しみの中で生まれてくる「今までありがとうございます」という感謝の心、これが一番大切にしなければならないことだということを、今月の難波教会誌で、若先生がこの歌詞を引用し教えてくださっていた。
 大震災、台風災害と多くの尊い生命が奪われた今年、確かに「優しさ」を改めて実感させられたことも事実である。
 神様からいただいたこの身体と、人に優しくできるという「心=神心」を、この年もフルに活かして、お役に立つご用に使っていただきたいと思わせていただいている。 
                        

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