神さまありがとう  近藤正明


 先日テレビで、タレントの原田伸郎さんが、とても粋なことをおっしゃっていた。
 原田さんは、京都産業大学在学中に、清水国明さんと「あのねのね」を結成。「赤とんぼの唄」「魚屋のオッサンの唄」など、パロディーソングをヒットさせ、
その後も司会業をはじめ、ラジオのパーソナリティーなど、現在も大活躍されている。
そんな原田さんの、最近の活躍場所はなんといっても「コマーシャルナレーター」であろう。
 とても耳障りのいい原田さんの声が、大阪ローカル中心のCMで聞こえてこない日はない。顔を見せずに「声」だけで商品の良さを伝える。何気なくテレビを見ていると、一日中そんなCMが流れていくが、原田さんの声だけは、私も「あ、原田さんや」とすぐにわかるくらい印象が強い。
 そんな原田さんが、「神さま、この声を授けてくれてありがとう」という題で短いトークをされていた。声は自分で作ろうと思ってこの声になったのではなくて、生まれたときに授けられたもの、それが今の自分を築き上げた財産になっていると言う趣旨の話をされていたのである。
 この話を聞いたとき、金光教の信仰の原点に通じるものがあるなあとふと思った。
 声だけに限らず、私たちの体すべては自分がこしらえたものではない。もちろん、生まれてから鍛え上げてすばらしい肉体を作る方もいらっしゃるが、その元はみな、自然に、言い換えると神さまから与えられたものである。そしてその体は、百人百様、お役にたつ立ち方が存在する。
 自分の体に感謝することを忘れてはいないだろうか?この体があってこそ、今日働くことができ、勉強することができ、あらゆる人としての営みをこなすことができるのである。
 「神さま、私にこの○○を与えてくれてありがとう」という気持ちを忘れないようにしたい。自分の体をそんな心持ちで考えていくと、粗末に扱うことはできないであろう。改めて、人間は「与えられ生かされて」生きているんだなあと、感じることができた。


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