柿の木    近藤佐枝子

教会の西側に、一本の大きな柿の木がある。本当に大きくて、歴史があるんだろうなと思う。でも、私はその柿の木が大嫌いだった。葉の落ちる季節になると、教会の方に山ほど落ちてくる。毎日掃除しても追いつかない。名張の花火も、柿の木がじゃまになって見えない。大きくて誰にも届かないのか、実もなりっぱなし。少しもいいことがない。誰か切ってくれないかなどとずっと思っていた。

 八月になって、おかげさまで増築工事もほとんどが完成し、そこで生活をするようになると、自分本位だけれど窓から見える柿の木がすごく好きになった。床に座って見上げると窓いっぱいに柿の木が広がって、ものすごく癒され、また、適度に日光をさえぎってくれるので、とても涼しく感じる。ありがたいなあと思う。

 ふと、星の王子様という本を思い出した。そこには、わがままばかり言ってきた花を王子様は嫌いになって旅に出た。いろいろなことがあって、花は自分に素敵な香りや明るい気持ちを与えてくれた、かけがえのないものだと気づいたという部分があった。

 私の都合で、柿の木は大好きであり、大嫌いでもある。でも大好きなところを見つけられたから、これからは掃除するのにも不足はなくなるかもしれない。何に対しても不足をなくすには、好きなところを見つける事が早道かもしれない。

 また、最近ハワイアンキルトに凝っている。ある方に、ハワイのお土産にハワイアンキルトのティッシュカバーを頂いてから、大好きになった。まだまだ小さい物しか作れないが、作品集などを見ては感動している。

ハワイアンキルトは、例外もあるが、身近な植物をモチーフにしたものが多く、ともに生きてきた思い、感謝などのこもったものだそうである。それにも感動した。いいなと思うし、それはとても大切なことだと思う。身近な植物に感謝しながら、一針づつ縫っていくのだから、きっと天地自然をとても身近に感じているのだと思う。

私も、ともに天地の恵みを頂きながら生きているものとして、この柿の木だけでなく、植物全般に対しても、もっと身近に、もっと感謝をこめていきたいと思う。

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