『祈りの先生』       近藤正明

「五郎先生は、まさに『祈りの先生』でした。」親先生のご葬儀の中、葬後霊祭での祭主あいさつで、大津教会若先生のお言葉が、私の耳に深く録音された。
 叔母(親先生夫人、初子姫)の葬儀の時もそうであったが、帰幽(金光教用語で「きゆう」と読む。一般で「逝去」に当たる言葉)という事実を、なかなか受けいれられない状態がしばらく続いた。というのも、このお二人の共通点は、いつ教会に参拝しても、常にお広前にいらっしゃる。その当たり前すぎる姿が強すぎるからである。
叔母は、いつ教会に参拝しても、常に広前の後ろの方に座っていて、お参りされる信者さんと、しばしお話しをされている姿。お話の内容が漏れ聞こえてくることは、世間話であろうが、愚痴を聞かれている場合であろうが、しまいには必ず信仰の話、教祖様のみ教えに通じるお話をされていたのが印象的であった。

 一方の親先生は、いつ教会に参拝しても、常にお結界に座っておられるか、またはご神前にぬかずいて祈念をこらされており、そのお姿が印象的であった。
 最近は私ひとりで参拝すると、きまって「佐枝ちゃんは元気にしてるか」「悠人くんや日々希くんは学校休まんといってるか」と、常に私たち家族のことを聞いて下さり、その次に「○○さんは最近参ってきはるか?」「○○さんの体の具合はその後どないや?」と、名張の信者さんのことを聞いてこられる。その言葉一つひとつに、計り知れない祈りが込められているんやなあ、と感じていた。そのことは時々、長男や二男を連れて参拝すると、なおさら強く感じさせられた。二男は超未熟児で生まれ、先天性心臓疾患をもっていたため、随分親先生夫妻のお祈りを頂いたが、今はそんな状態で生まれたことはうそのように、元気におかげを頂いている。今でも二男は私が上野に参拝するとき、一緒に参拝したがるが(お広前の積み木で遊ぶのが目的でもあるが)、特に最近、彼の親先生や栄一先生へのなつき方は、私たち親がみていても驚くくらいであった。

 先に亡くなった叔母の死亡診断書に書かれた病名と同じ、「先天性心房中核欠損症」を克服した二男であるが、それはまさに奇跡、親先生夫婦の祈りなしには、克服し得なかったと思う。それは、叔母が亡くなった翌年2月、小学校入学直前に医大で受けた心臓の検診で、完全に心臓の穴がふさがったという診断を受けたときに確信した。叔母は自分の命に代えて、二男の病気を取り払ってくれたということを。その祈りを親先生がずっと受け継いでくださっていたことは言うまでもない。終祭で喪主(栄一先生)挨拶の時、二男が泣いていたのを見て、彼が親先生に祈られていたことを、幼心に理解しているように思えた。
 
 そして名張のことは、特に教会長を兼務して頂いていたこともあり、上野のご神前で名張教会の「御祈念帳」を作って下さって、毎日信奉者一同の健康無事安全を祈って下さっていた。その尊い「祈りの先生」は、もうこの世にはいらっしゃらない。
 これからいよいよ名張教会もひとり立ちしていく。上野親教会のご比礼・お取次を仰ぎ、ますます在籍信奉者が助かりたちゆく教会とならせて頂けるよう、親先生のお霊様、なにとぞお見守りください。