今どきの高校3年生です   教会長


 
金光八尾高校では「宗教」の授業があり、もちろん期末ごとに考査もあります。高校3年生は受験を控え、定期考査は2学期末が最後になります。
最後の考査では毎年、「宗教の授業を受けて」ということで、自由に感想を記してもらっています。みんなの感想を読ませてもらっていたら、心温まる
ものが多く、「ありがたいご用に使っていただいているもんや」とお礼の気持ちが一層湧いてきます。
 いろんな方に読んでもらいたい感想がたくさんあるのですが、中でも今回、とても心が揺さぶられることを書いてくれたY君の感想を紹介したいと思
います。

 この3年間の授業、感謝祭などを通して「感謝する心」が一番強く根付いたんじゃないかと思います。(学校の)「お広前」に行くようになったの
は、3年生のはじめからくらいで、最初は「国公立大に行かせてください」「模試でいい点取らせてください」など、自分のことばっかりお祈りさせ
てもらっていたけど、最近では身近なことやけど「今日はめっちゃええ天気で、みんなでサッカーさせてくれてありがとうございます」「体調が悪
かったり、アトピーがひどかったりした時に、クラスのみんなや担任のS先生が心配してくれてありがたいです」など、感謝したことを“文さん”に
言ってることがとても多くなってきました。特にうれしかったことは、自分の誕生日を大勢の人から祝ってもらったことで、とても感謝しました。そ
して、他の人の誕生日をお祝いするのも、とても気持ちが温かくなって「ありがとう」の言葉の掛け合いみないなことがめっちゃ好きです。
 やっぱり、人に感謝し、されることのすばらしさはいいなあと、宗教の時間を通して学んだし、この宗教の時間があったことにも感謝したいです。
また、お広前行きます!!


“文さん”=教祖様もさぞ喜んでくださっているだろうと思います。

 さて、学校の「お広前」に参拝してくる生徒の願いごとって、私が驚くほど(驚いていてはいけないのですが《笑》)叶うのですが、こんなこともありました。
 Tさんはある大学の看護学部を志望し、公募推薦試験を受けることになりました。中学時代から私に懐いている“やんちゃさん”で、3年生になってからも
「たまには『お広前』来いよ!」といっても、「えぇ〜、そんなとこ行っても効き目あるん〜〜?」てな返しをしてきます。
 しかし、受験が近づくにつれ、広前に来て「○○大学通るように、こんちゃん祈ってぇなぁ」というようになりました。私は内心「この子の今の出来ではちょっと
なあ…」と思いながらも、「もし落ちるとこいつの性格では、お広前来んようになるかも知れん。神様、通してやってください」と祈るようになりました。
 1度目のチャレンジでは「予想通り」ダメ。しかしひとつ予想が外れたのは、不合格になった後も、お広前に来続けたことです。しかも、そんなに落ち込んで
ない様子。正直ホッとしました。
 しかも、クラスの友達を連れてくるようになり「この子らも○○大学受けるねん。うちも一緒に祈ったら、この子らも合格できるやんな?」と言います。
その時、私の口をついて出た言葉は
私「おまえも来週リベンジするんやろ?今度は行ける気がするわ」
T「えっほんまに??何%くらい??」
私「う〜〜ん、50%かな《笑》」
T「え〜〜、100%って言うてえな」
私「わしは神様ちゃうからそれは無理。でも、人のことを先にお祈りできるようになったやん。それ、神様が一番喜びはるねん。ご褒美くれはるような
気がするわ」
T「せやろ〜。うち、成長したやろ!」
私「調子乗んな!!」


 2週間後、彼女のもとに合格通知が届きました。

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