生かされて生きる       近藤 佐枝子       


  

  先日、「ストリングス」という映画を観た。ネタバレになるが、ストーリーは民族紛争を基盤としたもので、たくさんの犠牲があったが、和解の方向へ…というようなものだった。しかし、この映画の特徴は、操り人形の世界だというところにあって、登場人物(人形だが)から天に向かって糸が無数にのびていた。最初は違和感があったが、次第に気にならなくなり、その糸の持つ意味を理解してくると、天地のお恵みの中で生かされている自分に思いを馳せてきて、感動すら覚えた。

 実際、操り人形と自分を置き換えると、嫌なイメージしか浮かばないかもしれない。支配されているとか、操られているとか…。でも、この映画では、天地とつながっている私というふうに受け取ることができた。そして糸そのものが、天地のお働きであり、お恵みであると感じた。

 例をあげると、出産シーン。母親から天につながっている糸からわかれて、赤ちゃんへとつながる糸ができあがる。そしてそれを人形へ結ぶと、人形が動き出すといった感じであった。分け御霊を頂いた瞬間である。そして、天地のお働きを通して、親と子供がつながっているということを実感したシーンだった。

 私が一番好きだったシーンは、旅に出た兄が妹を思い自分の糸をはじく。すると、天を通じて妹に伝わり、兄が無事だということがわかるというところ。人のことを祈るということは、神様を通じて相手に伝わるのだということを感じた。私たちが神様と、そして、神様を通じてたくさんの人たちと、目に見えない無数の糸でつながったご縁を頂いた中で、生かされているのだと理解できた。対人、対物どんな関係に対しても、直接つながっているのではなくて、間に天地のお働き、神様のお働きが介在している。だからこそ祈りが大切だと思った。

 このように、日常の生活の中のすべてのシーンで神様のお働きに生かされて生きているということを実感し、そのことに感謝することを絶対に忘れてはいけないことだと思った。






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