「生かされる」を伝える   教会長

の中高生たちは、恵まれた環境にいるように見えていても、彼らなりに不満や悩みを抱え、言葉には言い表せない閉塞感を持っています。その根底には「自分で生きている。している」といった考え方があるように思うのです。宗教の授業では、お世話になるものすべてに感謝の心を持つ、命を大切にする、美しい物を美しく思えるなど、豊かな情操を養うことをテーマに掲げ、「自分は生かされている。させてもらえる」という考え方に変わっていってほしいと願っています。

 
一時間の宗教の授業は、受験にはまったく関係ありませんし、また公立高校・中学校にはない科目ですが、例えば学校を、ある種の病院だと考えてみるとどうでしょう。
 国語や英語、数学などでは、考える力をつけるために「授業」という手当を受け、「宿題」という大量の特効薬が投与されます。そして定期的に「テスト」と題した検査を受け、結果が思わしくなければ、「補習」という集中治療を受けることもあります。

 
教の授業はそうした受験に効く特効薬ではありません。ここでは、消費期限のない常備薬を配っているのです。今すぐに飲まなくても、とりあえず自分の引き出しにしまっておいてくれたらいいのです。将来、人生の壁にぶち当たった時や、自分が親の立場となり、子育てに悩むようなことに出合った場合など、何かの時に思い出して宗教の授業という常備薬を飲み、そこでもし効果があれば、授業が役立ったことになるのです。
 金光教のことを教えるのではなく、金光教で教える授業を目指しており、神様やおかげ、信心といったいわゆる「金光教用語」はあまり使いませんが、一つ、大切なキーワードがあります。それは「生かされる」という言葉です。私たちは、当たり前のように使っていますが、「自分で生きている」彼らには、意外にも初めて聞く言葉なのです。
 「私たちは、空気や太陽、水など自然の働きがあるから生きている。それは逆に言えば、それらの働きがなければ生きていかれへん。そう考えると『生かされる』という意味が分かるやんな」と話すのです。そして、この話の最後に「風が吹いているといっても、風を見たものはないであろう。それでも「風がない」とは誰も言わない。空には雲が動いているし、地には草がそよぎ、木の葉が音を立てているからわかるのである。神様がおられるか、おられないかは、何もかもが天地の恵みの中で生かされていることに気がついてくると、わかるものである。」というみ教えを紹介し、さりげなく「天地=神様」を伝えるようにしています。
 授業の開始の際、心を落ち着けて自分を顧みようと、一分間の黙想を行います。その時「黙想の時、先生は何をしてるん?」と聞いてくる生徒がいます。私は「みんなの名前を一人ずつ心の中で読みながら、元気に学校へ来られたお礼を神様に申し、希望に添った進路に進み、卒業できるようにと、毎週祈らせてもらってんねん」と答えます。
 ただ単に、先生の指導で黙想をされられている、ということではなく、子どもたちも「先生が自分のことを思ってくれている」というような、目に見えない信頼関係が生まれてくるのです。こうしたことは他の授業ではあり得ないと思います。

 
年、高校三年生は金光教本部へお礼参拝をします。その時、本部広前で校長先生が生徒、教員を代表して、教主金光様にお届けをしますが、全員が同じ方向に向き、しかも校長先生自ら、頭を垂れて自分たち生徒の進路や学業成就を金光様にお取次してくれるのです。こういう光景は、他の学校ではあり得ないでしょう。生徒たちにとっても心強いことなのです。

 
た近年、「ご神米を頂きたい」と言ってくる生徒が増え、受験を控えて頼みに来る子もいます。今年六月に本部で開催された「金光ミュージックフェスタ」で、腹痛を訴えてきた女子吹奏楽部員に、私はご神米を手渡しました。その際「ご神米の中身は、ただのお米粒や。でも、ただのお米粒って思ったらあかんで。金光様が祈りをこめてお下げくださった物やからな。これを頂いたら治るで」と言って渡すと、約一時間後「先生治った。ご神米ってヤバい(すごい)な」と報告に来たのです。私は「ご神米は効くやろ。特に君らみたいに、普段神様の存在を疑っている人に効くねんで」と冗談半分に答えたのですが、彼女自身、何か大きな働きを感じていたに違いありません。
 ご神米について、私は日ごろ、次のように話しています。「お米は天地の恵みの一番象徴的な物で、稲とは『いのちね(命根)』が縮まった言葉。お米は食べ、もみ殻は肥やしになる。そして身体の中を通った物が外へ出て、肥やしとして作物を育てる。ご神米は薬でも何でもないけど、大きな天地そのものやねん。だから、『天地をいただく』と思っていただくと、どんな薬よりも効き目あるねん」と。

 
業を通して、生徒たちはもちろんのこと、彼らをとりまく周囲の人々に、命の大切さや生きる上での大切な事柄が伝わり、社会全体に少しでも根づいていくことこそ、青少年の育成に大きくつながっていくのだと信じています。
     (金光新聞 10月4日号「視点」掲載)

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