被災地を歩いて     教会長

 7月23日〜27日、東日本大震災の被災地のひとつ、宮城県石巻市へ復興支援奉仕活動に参加させていただいた。実質はまる3日間の活動であったが、実際に被災地を歩いて、大きな衝撃を受けたことはいうまでもない。
 忘れないうちに文章にしようと、これを書いているが、正直、何からどう書いていいのかわからないのが本音である。思いつくままに綴りたいと思う。

 到着してすぐ、町の中心部にある金光教石巻教会に参拝させていただいた。教会長は、大分県日田市から石巻にご用に来られ、明日でちょうど10年目という日に、震災が起きた。 
子どもさんたちは学校、奥様は保育所、先生は教会におられ、それぞれがバラバラに避難され、幸い無事であった。高台に避難された先生は、教会が津波に襲われるところをご覧になっていたそうだ。お広前には、一階の天井近くまで水をかぶったあとが、生々しく残っていた。教会の向かいにある大島神社の社務所は、入り口側の壁がすべてはぎ取られ無惨な姿をとどめていた。泥だらけのカレンダーは3月のまま。その前を流れる北上川は、地盤沈下のためだろうか、堤すれすれまで水位があがり、いつ土嚢を破ってもおかしくないような状態。普段なら青々としているであろう水面は、真っ黒で不快なヘドロ臭を放っていた。少しの雨や満潮、高潮で浸水してしまうに違いない。
河口近くの中州にあり、石巻市のシンボルともなっている「石ノ森萬画館」は津波をもろに受けて、廃墟になっていた。

 初日は、ある町の公園で、本部へ寄せられた支援物資の配布作業をさせていただいた。震災から4ヶ月が経過しているが、仕事を失い、泥だらけになった家の2階で生活されている人々にとっては、ありがたいのであろう。洗剤や衛生用品、毛布や布団といったものが瞬く間になくなった。こういう形の支援のあり方もどうなのだろうか?と考えさせられたが、深くお礼を言ってもらって帰られる人々の様子をみて、今後の立ち行きを祈らずにはおれなかった。
 2〜3日目は、住民の依頼を受け、住宅地の側溝汚泥の除去作業や、住宅に流れ込んだ瓦礫の撤去作業に出向いた。町中ヘドロ臭が漂い、異様な量の蝿が飛び交う原因は、津波の置き土産である汚泥である。道路の片側、わずか30メートルほどの作業で、一瞬にして数十袋の土嚢の山ができた。焼け石に水とも思える作業であるが、石卷の先生が「皆様が、ひとすくいの泥、ひとかけらの瓦礫を取り除いてくださることで、着実に復興の歩みとなるのです。本当にありがとうございます」といわれたことが、励みになった。
 被災地の方々とお話をすると、感謝の言葉とともに「この現実をしっかり見て帰ってください。」と言われる。その顔はどなたも明るい。被災者の皆さんの強さには、本当に恐れいった。

 その言葉を率直に受け、作業は夕方までに終え、1日目は、市内の門脇小学校とその周辺を見てまわった。この小学校は、津波により火のついた自動車が校舎に突っ込み、学校ごと丸焼けになったところである。周囲に、残っている家は一軒もなかった。2日目は原発と漁業基地のある、女川町へ出向いた。死者・行方不明者は町民の一割以上に及んだ町である。テレビで何度も映し出された高台にある「女川町立病院」の眼下には、横倒しになった警察署や、水産関連会社のビルがそのままの姿で残っていた。海抜20メートル近いこの病院にまでも、津波が迫ったそうである。戦災でもここまでにはならないであろうと思われる光景が360度広がり、完全に言葉を失った。さらに小さな集落に入ると、信じられない光景が次々と目に入ってきた。無惨に壊れた民家の2階に乗用車がのったままになっている。玄関先には、こじ開けられた金庫が剥き出しになっている。ここでも、時は3月11日で完全に停止していた。最終日の夕方は南三陸町に立ち寄った。役場の女性職員が最後まで「津波が来ます。避難してください」と町内放送を流し続け、本人が亡くなられた町である。防潮堤がいくつも決壊し、4メートルを超す津波にのまれた海岸ののどかな町は、死の町と化していた。
訪れたすべての地で手を合わせ、霊となられた方々の立ち行きを祈らせていただいた。
 さらに、石巻の先生がおっしゃった話を紹介するが「石巻に住んでいる私たちが津波に襲われたのではなく、この天地自然の作用として、地震や津波が起こる。その大地に私たちが住まわせていただいているということ、天地の中で私たちが生かされて生きているということを忘れてはなりません」。非常に重く受け止めなければならない言葉だ。 なんでもいい。私たちが被災地のためにできることを、これからも長い目でしていかねばならないということを、強く思わせていただいている。

 最後に、今回の被災地奉仕活動参加は、まことに不思議な形で実現した。
 かねてより「なんとか被災地に赴いて、少しでも自分にできることをさせてもらいたい」と日々神様にお願いしていた。すると、7月13日、玉水教会長先生から「突然なんですけど、一緒に石巻へ行きませんか」というお誘いの電話をいただいた。日程的にもなんとかできそうなお繰り合わせをいただき、参加させてもらえるに至った。神様はこういう形で私を使ってくださるのだなあ、と恐れいった。また、私の思いをまさしく神様から取次ぎ、実現させてくださった玉水親先生に、心からお礼の気持ちでいっぱいである。
「人のためにどうか自分をお使いください」という願いは、絶対に神様が聞いてくださるのだということを、今回の奉仕で確信させていただけたこともありがたかった。


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