日々祈られて      教会長       

平成19年の新年、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。


 昨年11月22日、難波教会生神金光大神大祭のあと、親先生のご本部お礼参拝を随行として、お伴させていただいた。
 大祭のお下がりを車に載せ、深夜本部に向かうハンドルを預かるのであるが、難波親先生・若先生の命を預かるわけであるから、緊張もする。しかし、本部の難波別邸へ着いて、親先生とともに夜食をいただきながら、あるいは翌朝、朝食をともにいただく間に、色々なお話を親先生がしてくださる。金光様とのエピソードを中心に語ってくださるのであるが、金光様を心身から頂ききっておられる親先生とのお話の時間が、私はありがたくて仕方がない。

 朝、お広前へお礼の参拝、金光様へお届けの後、金光様のお宅へお下がりをお持ちする。。玄関で奥様が迎えてくださり、親先生と談笑されているところへ、つい先程までお結界にいらっしゃった金光様が、朝食を頂きに戻って来られた。そしてすぐに玄関へ出てくださり、和やかに談笑してくださる姿を拝見し、これまた言いようのないありがたい気持ちにならせていただいた。

 
 金光様は毎日、休むことなく朝3時50分に本部広前に出仕してくださる。そして午前4時から全教の信奉者のこと、さらには世界の平和に至るまでご祈念下さるのである。そして、夕方4時40分にお退けになるまで、参拝者の取次に専念される。世界中どこを見渡しても、一宗教のいわゆるトップの人に、何の予約もなしにじかに会って、お話できる教団は、金光教以外ないはずだ。
 私たち信奉者は、日々金光様に助かりたちゆきを祈られている。さらに全国にある教会の先生が、日々信奉者のことを祈り続けている。この祈りの中で、さらには天地のはたらきの中で生かされての今である自覚を改めてしなければならない。

 今年は教祖様が取次の御用に専念されるようになって、148年目のお年柄を迎える。再来年には立教150年の記念の年となる。今一度、日々続けられる金光様の取次の業を頂き直し、祈られてある自分の生き方を見つめ直してゆきたいと、願いを立てている。


 今年一年が皆様に取って、よい年となりますよう、お祈り申しあげます。



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