現地にとっての幸せ      近藤 悠人

  8月15日〜19日の5日間、私は教師子弟の集いでフィリピンへ行かせていただいた。そこで、日本では絶対に出来ないことを数多く体験した。
 今回の旅行で、家を持たず、ストリートで暮らしている子どもたちや、彼らを保護している施設、ダンプサイトなどを訪れた。私はまず、その子どもたちの元気の良さに圧倒されてしまった。どれだけ遊び続けても、誰ひとり疲れた表情を全く出さない。1人を抱っこしてやると、「アコ、アコ」(タガログ語で「私」を意味する)と言って、4〜5人が近づいてくる。私たちに休む暇を与えてもらえない。その時だけは、彼らよりも参加者である私たちが支援を必要としていた気がした。

  また、私の心に深く残っている場所のひとつがダンプサイトである。下に写真を載せているが、人が住む家以外はゴミしか見えないような場所である。そこで住んでいる人々は、そのゴミの山から再利用出来る物を探しだして、それを売ってお金を稼いで生活しているのである。また、これらを行っているのは、ほとんどが子どもたちである。私はそこへ向かう時、辛そうな子どもの顔を想像していた。しかし実際は違った。驚くことに、そこの子ども達は、日本の幼稚園児と同じような、純粋で明るい笑顔がたくさんあったのである。写真のような陽気な子もたくさんいた。
ストリートやダンプサイトの人からすれば、過酷な生活は当たり前で、病気などにかからずに家族や友達とともに生きているということが、この上なく「幸せ」であるのだと私は考えた。当然、私たち日本人が同じ生活を強いられたとしたら、笑顔はもちろん、生気すら失うことになるかもしれない。少なくとも、その生活に「幸せだ」と言える人は間違いなくいないだろう。

  私にとっての幸せは、卓球を思う存分して、彼女とデートして(実際はいないが・・・)友達と豪遊して・・・というような贅沢なものであり、今は受験生ということで幸せをほとんど感じていなかった。しかし、フィリピンに行って「健康に生きている、家族がいる、住む家がある」など、今まで忘れていた日本では当たり前だが、フィリピンでは貴重である「幸せ」というものを、帰国したときに改めて感じることが出来た。この日本では当たり前である「幸せ」を、これから生きていくなかで大切にしたいと思う。


 このような体験をさせてくださった本部・スタッフの先生方、ならびに金光教平和活動センターの皆様に厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。

                        

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