普通が一番難しい・ありがたい  教会長

 受験と卒業式のシーズンを迎えている。卒業式の「卒業生答辞」には、毎年泣かされる。私の年になると、3年という月日が矢のように過ぎ去る。しかし卒業生、とりわけ高校生にとって、この三年間は長く感じられるようだ。
 さて、御用をさせていただいている金光八尾高校には、「カウンセリング室」という部屋がある。在校生にとってこの部屋に呼び出される事態が起きることは、まことにありがたくない話なのであるが、この部屋には「天地書附」を掲げた「ご神前」があり、私にとっては、何かあると参拝が出来る、身近な「お広前」なのだ。

 近年、生徒の中に、「先生、受験近づいて張りつめているので、拝んで欲しい」「明日、○○大学を受けるので、ご神米がいただきたい」と申し出てくる者が増加している。その中には、1月以降、受験した大学すべてから不合格通知が届き、せっぱ詰まった表情で願い出てくる者もいる。「苦しいときの神頼み」なのか、しかし、その真剣な表情に、「じゃあ、カウンセリング室でご祈念させてもらうから、おいで」と促し、祈らせていただく。そして、「これで合格ってわけではないで。でも、今まであんたが頑張ってきた成果がしっかり出るよう、お願いさせてもらった。自信もって行っておいで。」彼は卒業式を欠席し、その日に受験した。結果は現段階ではまだ聞いていない。

 話は変わり、うちも今受験生を抱えている。昨年末までは、「こんな調子で大丈夫なんやろか」と思いつつ、本人のペースに任せていた。至って普通に過ごしてきた。年が明けて私立の入試が近づくと、さすがに自然に勉強時間が増えてきた。そして大阪府の私立入試当日。前日までまったく何も動じることがなかった私に、いつもと違う緊張感が走り始めた。合格通知が届くまでの2日間、おそらく本人以上にドキドキしていたと思う。
 そして間もなく、県立入試を迎える。今までの成果が思う存分発揮できるよう、万全の健康状態で受験してくれることの日々お祈りしている。

 この、普通に受験を迎え、試験に臨むことができる。これが一番のおかげではないだろうかと、心底思う。もちろん、志望校合格を願うことは言うまでもないが、そこに至るまでの経緯に、感謝することを忘れてはならない。長男自身、口にはしないし私も言わないが、そのことを理解してくれているようだ。先日彼が難波教会へ私立合格の御礼と、公立受験のお願いのために、生まれて初めてひとりで参拝した時、そのことが確信できた。
これからも、何事も普通にできることに感謝し、喜べる生き方を実践して行きたい。

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