沖縄日記'23 その2

今日は奉仕作業第一日。今もたくさんの遺骨が散逸したままの「摩文仁の丘」から、断崖を降りたジャングルに入りました。平和祈念公園からわずか1キロの場所ですが、波の音以外は物音のない所です。
この辺りは特に亜熱帯植物が鬱蒼と繁っていますが、これは終戦直後、夥しい数の散乱した死体を隠すため、米軍が植物の種子を空中散布した名残です。
また、元々海岸に剥きだしの場所でしたから、海上からの艦砲射撃の跡が至るところに生々しく残っています。

私たちの奉仕隊がこの地域を重点的に捜索しているのは、沖縄終戦時の島田知事が、この辺りで消息を絶ったという情報があり、いまだに遺体(遺骨)が見つかっていないためです。
何しろ戦後66年経った手作業での遺骨収集です。広い砂浜で、ビー玉一つを捜すようなことをしています。私たちの班では、遺骨が発見できませんでしたが、別の班で二カ所、遺骨が発見されました。

また、私と次男が作業している場所で、アメリカ軍が投じた手榴弾(パイナップル型)の不発弾が見つかりました。初参加の次男は、とても驚いていましたが、実際、手にとって改めて戦争の恐ろしさを実感したようです。

明日も作業に入ります。一片のご遺骨でも収集させていただき、慰霊の気持ちをこめさせていただければと願っています。

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