ぼくは最初、「遺骨収集は簡単なんだろうなあ」と思っていました。到着した日、那覇教会にお参りした後、「沖縄陸軍病院南風原壕群20号跡」を見学しました。そこには重い爆弾の破片の実物がありました。また瓶に入った医薬品類がそのままおかれていました。戦争の時のままの様子が残されていて、びっくりしました。
 壕の中に入ると、思っていたより通路が狭かったです。長さが70mのこの壕は、高さと幅が1,8mしかなく、その幅の通路の右側に90pの2段ベッドが並べられていて左側が通路でした。そのベッドには、けがをした兵士が寝ていて、腕や足の腐食を防ぐための切断手術が、麻酔なしで行われていた事を聞き、ぼくは想像するだけで身体がしんどくなってきました。

 次に壕の隣にある資料館に行きました。壕のベッドを再現したものがあり、戦争がいかに大変なことだったのかを改めて知りました。
 二日目は遺骨収集に行きました。遺骨を探すために石や砂、岩などをどかせていると、アメリカ製の手榴弾が見つかり、びっくりしました。不発弾でもし、爆発したらどうしようととても怖かったです。結局遺骨は見つかりませんでした。
 三日目は、雨が降って崖や道が滑りやすくなっていて、縄ばしごで現場に降りました。昨日とは少し違う場所を探したら、牛か馬の骨がたくさん見つかりました。この場所では戦争中に飼えなくなった家畜を、崖の上から落として処分したことがあったそうで、その遺骨かもしれないと聞きました。
 昼から、前日に手榴弾が出てきた周辺を探したら、藪の中の自然壕から、大人の男性の背骨や大腿骨、骨盤が見つかりました。二日かけて頑張って探したかいがあり、うれしかったけど悲しい気持ちにもなりました。
 この沖縄での経験は、戦争のことについてとても勉強になりました。つらかったけど、とてもためになりました。


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