“どこでも『お結界』”   教会長 

 先月、金光八尾中学・高校に「お広前」が誕生し、昼休みや放課後、生徒たちが自由に参拝できるようになった。広さ約30畳分のスペースに、明るい室内と青い畳の香りに包まれ、何ともいえない安らぎと癒しを与えてくれる広前へ、毎日数十人の生徒が参拝に訪れる。もちろん、ほとんどの生徒が「未信奉者」である。私自身、道の教師にお取り立ていただいて以来、これほど毎日が感動で新発見の続くことは、初体験である。
 まず、開放初日から5日間で、参拝の仕方(拝礼作法)を教えた回数は20回を超えた。
 入り口で、中に入るのをためらっている生徒が「お参りしたらなんか落ち着くで」などと背中を押され、参拝してくる生徒。いわゆる「おてびき」されて参拝してきた生徒はどれぐらいいるか、見当がつかない。
 「お届け用紙」を入り口に置き、お礼やお詫び、お願い事を自由に書けるようにしている。生徒たちが用紙に向かい、一生懸命に鉛筆を走らせる姿に胸が躍る。
 毎日決まった時間に必ず参拝してくる生徒、お届け用紙を毎日のようにお供えしていく生徒、退室する際に深々と頭を下げ、「あぁ、ここ来たら癒されるわぁ」と感慨深げにつぶやきながら広前を後にする生徒…。きっと、教祖様のお広前の最初って、こんな様子やったんやろなぁと勝手に想像を巡らせる。
 現在、大阪の3校にある「学校広前」には『お結界』があるが、ここに座ってのお取次は現行教規に抵触する可能性がありできない。しかし、広前後方で宗教科教員と対話ができる。先述の「お届け用紙」を元に、中高生らしい悩みや願いを赤裸々に語り合う。彼らの願いを聞き届け、そしてその日のご用納めとしてご祈念させていただく。すると神様は、彼らの純粋な思いを驚くほどストレートに受け止めてくださるのである。
祖父の重病を祈念していた生徒が、数日後「おじいちゃんがご飯食べられるようになりました」さらに数日後「おじいちゃん、(来週)退院できることになりました」。
 「先生、ヤバイです。さっきお広前で『膝が痛くて大変なので治してください』ってお祈りしたら、ほんまに治りました」こんなことが、ほぼ毎日繰り広げられる。
 「おかげ」をいただいた生徒が「お礼参り」に来る。しかも友だちを引き連れて。
 
 参拝してくる生徒たちから、あらためて大切なことに気づかされた。「一心に願う」「お取次をいただく」ことで、間違いなくおかげになるということ。さらに「教師のいるところ=お結界」ということ=つまり、私自身が「お結界」にならせてもらえということである。
 この「お広前」が生徒たちの「心の助かりの場」として、ますます活用されるよう願ってやまない。そして、教祖様の念願である「人が助かりさえすればそれでよい」との神願成就のために、少しでもお役に立たせてもらえるなら、これほどありがたいことはない。さらにこのご用を通して得られた中身が、名張の広前はもとより、全教のためにお役に立てることにつながって行くことを祈念している。




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