父を偲んで        教会長

  父が帰幽してまもなく一年になろうとしている。しかし正直言って、父が亡くなったという実感がいまだにわいてこない。亡くなったという事実を受け入れられない、というのではなく、寂しさ以上に霊神様となって見守ってくれている、ありがたいという思いが強い。

 私は父が、比較的年をとってから生まれた子なので、おそらく(というと怒られるかもしれないが)可愛がってくれていたただろうと思う。兄や姉に比べて、色々なところへも連れて行ってもらえた方だろう。その中で、小学校5年生くらいのことだろうか、宝塚のホテルでボーイスカウトの記念行事かなにかがあり、それに連れて行ってもらった。パーティーのような席で、別の方から、私たちをみて「近藤先生、お孫さんですか?若いおじいちゃんなんですねえ」と言われ、「いやいや、二男ですねん」と苦笑しながら必死で言ってたのが、幼心に印象に残っている。父も年寄りに見られるのがいやだったんやなあ、と。
 あと、父自身が教育現場に身をおいていたこともあり、進路や学習のことについては熱心に関わってくれた。高校の時の三者面談は、必ず父が来てくれた。大学の卒業式へも一緒に出席してくれた。その夜、家に帰ってからは感極まってうれし涙を流してくれていたらしい。三人の子どもにすべての教育課程を終えさせたことの、神様へのお礼の気持ちが現れたのだろうと母が話していた。

 今思い出すと、子ども、あるいは家族に対しては感情を表に出すことは少ない父であったが、常に心にかけてくれていたことは違いないと思う。ただ、子どもの視点から見ると、とにかく忙しい父で、また「家族よりも御用が優先なんか?家族より信者の方が優先なんか?」と愚痴を言いたくなることも多々あった。御用、特に難波親教会に対する御用には(後に御用の中身を知るようになってから)頭の下がる思いであった。

 父が床につくようになってからは、どこへ行っても「親先生はお元気ですか?」と声をかけられた。「先生には○○の時にこんなによくして頂いて、今でもそのことは忘れません」とか、「お父さんは愉快な方で、お酒の席でもいつもいろんな話をして楽しませてくれたんですよ」など、私が到底知らない外での父の顔を、いろんな方から聞かせて頂き、よく他の方の世話もしてたんやなあということを知った。
 名張の教会長となり、父が歩んできた苦労の一端を自分も少し理解できるようになってきた。これからも父の御霊に見守っていただきながら、御用のおかげを蒙って参りたいと思う。


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