文楽から感じた祈り  副教会長
  

  毎日、暑い日が続いています。先日、朝の洒掃をしていると、御神前に四匹のハエの死骸がありました。元々牛舎が近所にある関係でハエの多い所ではありますが、こんなことは初めてでした。虫たちも暑さに耐えられなかったのでしょうか。ただ最後を神様の元でと思うとある意味ほっとした気持ちにもなります。

先日、大阪の国立文楽劇場で、文楽を観る機会をいただきました。何年か前一度教会長に連れていってもらい、とても感動し、また場の心地よさを感じていたので、喜んで行かせていただきました。前回は全く予備知識もなく、舞台上部に表示される解説用の字幕を追うことと、人形の動きを追うことで精一杯で、終わった後パンフレットでどんな話だったか確認したほどでした。でも今回は先にパンフレットを読んであらすじを頭に入れ、イヤホンガイドを借りて解説を聴きながら鑑賞させていただきました。観ているうちにだんだんはまっていき、その他大勢の人形が顔の色が肌色の事もあってか、人間が立っているように見えてきたのには自分でも驚きました。

今回鑑賞させていただいたお話は精霊と人間との結婚・身替りがテーマで、両方のお話とも別れが結末でした。いわば悲劇です。その時代の人達が受け入れるしかなかったどうしようもなく悲しい結末。そんな中にあっても、私が一番強く感じたものは祈りでした。小さな望みにかける祈り。残される方の今後を思う祈り。命をかけた様々な深い深い祈り。祈りの存在がたとえ結末が変わらなくても思いを変える。思いが変われば生き方が変わる。三味線の音、太夫の声、人形の動き、そんな中から登場人物の祈りの感情が伝わって、祈りの大切さやすばらしさを感じました。そんなことをつらつらと思いながら帰途につきました。

 そんな時代だからこその祈り。だから私は古典に惹かれるのかもしれません。



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