ボケとツッコミ  近藤正明

新年明けましておめでとうございます。本年も「教会だより『和らぎ』」をどうぞよろしくお願い申しあげます。

  年末年始のテレビは、とかく「お笑い」が画面を席巻する。特に大阪のお笑いタレントは元気である。世間では「大阪人が二人よれば漫才になる」なんてことも言われるが、確かに町で、一般人の会話を漏れ聞いて笑えることも多い。話しを聞いてもらってサービスしようという精神は、大阪人の本能的な行動にさえ思える。
私はその「漫才」が小さい頃から大好きで、テレビでも生舞台でも、よく見ている。漫才と言えば、「ボケ」役と「ツッコミ」役がいるが、世に言う「おもしろい」漫才は、一方的に「ボケ」役がおもしろいコンビより、「ボケ」に対する「ツッコミ」役がいかに確かな、鋭いツッコミをかましていくか、と言うところが焦点になるように思う。
 
 私が数年前から注目しているお笑いタレントに、陣内智則さんという人がいる。年の頃は30才、若い頃は2人で漫才をしていた方であるが、7年くらい前にコンビを解消してから一人で舞台に立つようになった。陣内さんの芸風は、あらかじめテレビモニターやパソコンなどの画面で作っておいた「ボケ」場面に、ひたすら「ツッコミ」を入れることで笑いをとり続けている。いわば新しい「一人舞台」の形を完成されている。最近ではその能力が認められ、関西ローカルはもちろん、全国ネットのテレビでもよく出られている。
 「ツッコミ」役の漫才師は口べたなイメージがあるが、陣内さんは、トーク番組でも非常におしゃべりが巧妙で、「ツッコミ」の話術を自分流でもっておられる感がある。

 さて、話しが飛躍するかも知れないが、金光教祖のもとにくる参拝者は、いわば「ボケ」役、教祖は「ツッコミ」役と思えるご理解が、「金光教教典」の中に数多く見られる。
 様々な難儀や問題を抱える神の氏子は、純粋な生き様の中でそういう難儀に出会う、いわば「天然ボケ」役的な存在であり、教祖はそこに優しく、時には鋭く教えを説く、いわば「ツッコミ」役的存在ではないだろうか。
 「漫才」と「結界取次」を一緒にしてしまうとしかられるかも知れないが、「教典」に出てくる教祖と参拝者の会話が、そのまま100年以上の時を経て私たちに、「古典漫才」のように語りかけ、教え諭してくださっている。その時代に「ボケ」役がいて下さり、そこに「ツッコミ」を入れる教祖の存在があって、そのまま現代に、生きた教えとなっているのである。
 「ツッコミ」の奥義を教祖のご理解(教え)に学び、わが心に頂いて、あらゆる「ボケ」につっこめるこの「道」の教師でありたい。

 

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