歩いてわかる  教会長
  

 

 先月「第3回宗教文化士の集い〜関西」に参加し、故郷、東大阪から生駒山周辺の宗教施設を探訪しました。小中学生のころ、遠足やボーイスカウトの訓練で何度歩いたであろう、生駒山周辺だったのですが、行くところ行くところ、新しい発見ばかりでした。

 石切には、有名な石切神社があります。ここでわかったことは、寺社によく見られる「聖と俗」の境界線がはっきりしていないことです。狭い通りの門前町に、占いの店や漢方薬店、お菓子屋などが建ち並び、人波が神社まで続きます。神殿につながる正面の通りは、お百度を踏む人々がぐるぐると回り続けているのですが、老若男女、しかも派手な格好の若者から、ヒョウ柄を全身にまとった大阪のおばちゃんと、それはなんともきらびやかないでたちで、こよりを片手にお参りされていました。こんな神社、全国でもあまりないのではないかと改めて思いました。しかし、その雑然とした空間に、不思議に癒やされるのです。

 電車で生駒山をくぐり、ケーブルカーで生駒聖天宝山寺へ参りました。石切と違い、ここは聖と俗がはっきり分かれています。門前町には、昔ながらの「花街」が残っています。そして、いざ、長い参道の約1000段ある階段を登りつめると、急斜面に配置された堂が姿を現し、奈良盆地を眺望できます。昔から商売の神様としても親しまれた「生駒聖天」らしく、玉垣には「金壱億圓」という文字も目に入ります。

 私は子どものころ、父から「生駒には900の神様仏様が祀られてるねんで。」と聞かされていました。今回歩いて、それが実感できました。何より、怪しいものも数多く祀られています。また、石切神社や宝山寺のように、鉄道やケーブルカーの敷設、それに伴う生駒市の発展に貢献しているものもあります。

 神仏への信仰は「場の力=パワースポット」の要素も大切だと思います。生駒山は「神仏にとっての『お広前』」なのかも知れません。私たちも、このお道の身近なパワースポット「教会のお広前」で、しっかりと神様からのおかげを浴びたいですね。



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