「神様が教えてくださった」 〜ある日の授業〜   教会長 

1  人間にとって怖いものって?

 

 あなたたちが、この世で一番こわいものってなんでしょう。私が怖かったものは、小学校時代の先生、般若のお面、ゴキブリ……。他愛のないものを怖がっていたのですね。ところで、昔の人たちは「地震・かみなり・火事・おやじ」って怖いものを並べて言っていたのを知っていましたか。この四つの中で一番怖いものってなんだと思います?

 みんなの中には「おやじ」が一番怖いって思っている人もいるかも知れないですね。でも最近の「おやじ」って優しい人が多いですよね。これは人それぞれやから難しいですね。「火事」も怖いけど、これは人間が原因で起きることがほとんどなので、よく気をつけていたら防げるものです。では「かみなり」はどうだろう。昔の人たちはかみなりがなると、「天にいる雷神様の怒り」というふうにとらえて、とても怖がったらしい。たしかにあの轟音と稲光は、かみなりが科学的に証明されていなかった昔の人々にとっては、恐ろしいものだったのでしょうね。現代でも落雷事故はあるけど、雷の発生する原因がわかった今では、昔ほど怖くなくなりました。

 そうすると、あと残ったのは「地震」。むかしの人はもちろんのこと、現代でも発生のメカニズムがまだまだ解明されていないことが多いし、なによりいつ、どこで、どのぐらいの規模の地震が起きるのかがわからない。四つの中で一番怖いのは地震ではないでしょうか。

2  重なる不幸  〜火事と阪神大震災〜

  平成6年4月、神戸市灘区にある金光教の教会が火事で全焼しました。幸い教会長の、嶋田先生やその家族にはけががなかったのですが、近所の家に13軒もの類焼を出してしまいました。出火原因は「不審火」ということで、類焼の責任もありませんでした。でも近所の人たちは、「神様を祀っている教会から出た火でうちが焼けた」などと、とても冷たい目で嶋田先生の家族をみていました。その中で、Aさんという家族だけは、親身になって対応して下さいました。嶋田先生は類焼を出した近所の家1軒1軒に頭を下げ、本当はしなくてもいい賠償を、心をこめてされました。

 火事から半年後、焼け跡にプレハブの仮の教会を建て、再興を願われていました。やっとその生活が落ち着いた矢先の平成7年1月17日、あの阪神大震災が起きたのです。教会のある灘区は震度7の激震地域でした。震災の後、景色はあの火事の時と全く逆になりました。プレハブの建物だけが残り、周りの建物は原型をとどめない、無惨な姿に変わりました。

 

3  人のお役に立つことの喜び 

 嶋田先生は、家を失った近所の人々のために、教会や敷地を開放されました。そこにボランティアの人々も集まり、テントが立ち、みんなでこしらえた食堂やドラム缶のお風呂もできました。先生は自分のことはさておき、とにかく必死で近所の人々のためにと思われて、出来る限りのことをされました。

そんな中、震災から十日ほど経った頃、火事の時親切にしてくださったAさんの家の、横にある建物が倒壊してきてAさんの家を押しつぶそうとしている、という知らせ入りました。Aさんの家は解体しなければならなくなりました。嶋田先生は近所の方々と協力して、危険な解体作業を手伝われましたが、それは写真一枚ですら、大切に扱う丁寧な作業でした。作業の中で近所のある方が、「火事の時の嶋田先生の気持ちが今よくわかります。震災の大変な中でも、人のことを率先して一生懸命に世話をする先生の姿を見ると、信仰を持っている人は違うのですね。」と声をかけて下さったそうです。その話を先生が聞かれて、「一生懸命できるのは、教会が焼けたときの辛く苦しい思いが記憶にあるからです。自分があれほど辛い思いをして、初めて人の痛みが自分の痛みのように感じられるようになった気がします。財産といえるもののほとんどを無くしてから九ヶ月。自分自身を見つめる中で、本当に大切なものは何かを気づかされたように思います。だから震災後は、同じ境遇の人を見て、どうぞ一刻も早く幸せになってください。と祈らずにはおれない。何かをさせてもらわずにはいられない自分があります。人として何を大切にし、どのように生きていくべきかを、神様が教えてくださったような気がします」とおっしゃいました。

 

4 本当に大切にしなければならないもの 

 あの震災では6433人の尊い犠牲と、言い表すことが出来ないくらいの多くの「形のある物」が破壊されました。しかし、そのことを通じて日本、いや世界中の人々が困った時に助け合う「ボランティア精神」の大切さも学びました。「形のない物」=血の通い合う心が生まれたように思います。

 私たちは生まれた時に、体と同時に「心」を頂いて生まれます。その「心」の中には、他の人のお役に立つことを喜べる、神様のような「優しい心」があるのです。例えば、電車の中でお年寄りに席を譲ったとします。それは見返りを求めて譲らないですよね。そのお年寄りに「楽に電車にのってもらいたい」という思いだけで譲ります。そして「ありがとうございます」とお礼の言葉でもかけられようものなら、照れくさいけどうれしいような、何とも言えない気持ちになりますね。そんな「優しい心」を持って私たちは生まれてくるのです。

 『優』という字は、「人べん」に「憂い=人を思いやる、心をかける」と書きます。この目には見えないけど、「優しい心」をいつも大切にして生きて欲しいと思います。他人を優先させることは、その時は損をした気分になるかも知れませんが、そういう生き方を続けることにより、必ず後に人から優しくされる機会があると信じています。

 嶋田先生の教会は平成9年、火事から丸3年後、震災から2年半後に復興しました。それは近所の方々や、震災の時に救援活動に携わって下さった方々の祝福を受けながらの、喜びあふれる再出発でした。

 (参考資料:「金光教の声」=金光教放送センター発行)            

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