和らぎ200号のあゆみ

(100号までのあゆみについては、「バックナンバー」より『和らぎ100号のあゆみ』をご覧ください。)

1,はじめに

 平成13年4月、通巻100号を迎えた「和らぎ」とともにスタートしたのが、このホームページである。手探りの
まま始めたところ、信奉者、また金光教内関係者にずいぶん見ていただいているようで、色んな方と会うと、
「『ホームページ』見てますよ」と声をかけてくださる。うれし恥ずかしありがたしと言ったところであろうか。
ともかく、見てくださる方がいるということを常に意識しながらこのホームページの継続をこころがけてまいりたい。

2,101号以降のあらまし 

 当初からの紙面の性格として、第一に信奉者への祭典・行事の連絡、また行事などの報告を目的としている。
101号の紙面を見ると、「巻頭言」の他、「ふれあい広場」「目で見るよい話」というコーナーが並んでいる。
「ふれあい広場」は不定期に掲載していたが、この月からは「おばあちゃんの話」と題して、113号までの間、
中西歌子さんが、現在、満105才でご健在の中西みつさんから聞いたお話を連載している。
 また、平成14年新年の109号から、「○月のご霊神様」として、ご命日を迎えられるご霊神様を毎月掲載して
いる。
  この平成14年、教団は翌年、教祖120年のお年柄を控え、また教会は、開教80年のお年柄を控えていた。
紙面ではそれをふまえ、「金光教歴史事典」と題し、『金光教祖の生涯』の連載を開始した。しかし、平成15年
1月の121号から、連載が止まった。これは、この年から「信心勉強会」を月一回開始したためで、参加者には
テキストのファイルを用意し配布した。連載分も含め、立教神伝までの教祖様の半生を1年間勉強させていた
だいた。勉強会は、年に5〜6回、現在も継続して開催させていただいている。
「目で見るよい話」は、「子どもに語る金光教」(岡山県天瀬教会長、秋山実雄先生著)さらに、「信心笑話」(兵
庫県川西教会長、平本行雄先生著)となり、現在に続いている。
 不定期連載で、「金光教Q&A」のコーナーもあるが、毎月何かと紙面が賑やかになり、定期的な連載ができて
いない点は心苦しい限りである。ただ、当初から「紙面作りの上で無理をしない」「とにかく何が何でも、月一回
発行を続ける」ことを目標にあげて、B4用紙両面いっぱいに、「祈り」をこめて作らせてもらっている。

3,教会の動きと「和らぎ」

  教会としては、平成14年に3人目の輔教(松浦健治氏)の誕生、15年は開教80年記念祭の奉行(132号は、開教
80年記念号として、12ページの特別仕様で発行した)、それに伴う教会教職舎御造営事業成就は、今思うも、あり
がたい極みである。
しかしその翌年(平成16年)、教会は大きな試練に遭う。長年、名張教会兼務教会長として御用にお立ち下さった、
上野親教会長、近藤五郎先生が帰幽された。6月16日のことで、その2日後、現在まででは「和らぎ」唯一の『号外』
を発行し、親先生のご帰幽の報を記した。翌月(7月)より、私が教会長の重責を担うことになる。そのさらに翌月(8月)
には、信徒総代田中千恵子氏が急逝された。さらに翌年(平成17年)には、私の父である、小阪教会長の帰幽、さら
に輔教であり、信徒総代としてご活躍下さった柳井一利氏が急逝された。
 平成14年6月の叔母(上野親先生夫人)の急逝から始まり、約3年の間に、ここまで名張教会の再興を支えて来てく
ださった先生や信徒が、次々とお亡くなりになり、悲しいこと極まりなかったが、世代交代が一気に進むことになった。
「和らぎ」は、そんな教会の歴史をしっかりと見続けてくれている。

4,ここからの「和らぎ」が担うもの

  「100号のあゆみ」では、信徒による紙面作り、ホームページとのリンクなどを願いとしていた。
ここからの「和らぎ」は、単なる行事の連絡・報告を主体とした教会誌にとどまることなく、金光教の信仰を伝える
力を持つ紙面作りを願いとしてまいりたい。そこには、常に社会との接点を持つことを忘れずにいたい。金光教の信仰と
いう視点からすれば、こうであるが、社会はこうである、というような見方を持ち続けたい。教会は常時、社会に開かれ、
地域のお役に立つはたらきをと願っている。その願いをふまえ、信奉者に限らず、未信奉者に読んでもらっても、理解
でき、また少しでもこのお道の中身を伝えるはたらきにならせてもらえるような紙面を考えてまいりたい。
なによりも、「天地の心で語り合おう。うれしく、楽しく、ありがたく」の実践の根本は、「和らぎ」の心であるのだから。


  (「バックナンバー」へ戻る)