兄の一年祭を迎えて   教会長
 
 早いもので、兄である小阪教会長、近藤和明先生が帰幽してまもなく1年になります。

小さい時から「お兄ちゃん」と呼んでいたものの、ずいぶん年が離れていたうえ、私が小学校に上がるとすでに大学生であったためか、兄弟という感覚がないまま大きくなりました。
 兄と二人で出かけることは、ほとんどありませんでした。ですから、数少ないその機会は記憶に残ります。
私は小さい時から、阪神ファンであったのですが、当時、うちでは私以外に野球に興味のある家族はいませんでした。しかし、私があまりに「阪神阪神」というものですから、いつのまにか、父も兄も阪神ファンになっていったようです(ちなみに兄はとても“卑屈”な阪神ファンでしたが)。そんな中、小学五年生の時、甲子園球場へ阪神対巨人戦に連れて行ってもらったことがありました。一塁側アルプス席の上段で、生まれて初めて見る伝統の一戦に感動し、阪神が快勝した試合に連れて行ってもらい、とてもうれしかったことが今でも鮮明によみがえります。
 また中学生の時、大阪フィルハーモニーの定期演奏会に連れて行ってもらったこともありました。生でオーケストラを聴くことは、この時が初めてでした。そう考えると、今思い返せば、数少ない中にも貴重な体験をさせてもらえたんやなあと感じます。

 普段、あまり交流がなかった中で、兄として、また道の教師の先輩としてありがたいなあと感じたのは、私が学院を出て一年足らずで浪花女子高校(現、関西福祉大学金光藤蔭高校)で宗教科教師としてご用をいただいた時でした。授業のノウハウがわからない中で、細かいことを教えてくれたわけではないのですが、いつでも気軽にわからないことを聞けるということが心強かったなあと思い返します。「金光教を教えるわけちゃうで。金光教で教えるという感じが大事なんや。」これは、未信奉者の生徒たちに接する中で、大きな指針になりました。
 私が名張に行ってからは、逆に兄弟としてのつながりが深まったように思います。お互いにご用のあり方について話したり、手の足りない時に補い合ったりと、頼もしく思えることがどんどん増えていきました。

 兄と最後に出かけた思い出は、なくなる年の四月、春の大祭教話講師をお願いするため、尼崎教会へ参拝させていただいた時でした。参拝後、「お腹空いたなあ。なんか食べて帰ろか」と、二人で国道二号線沿いのファミリーレストランで、昼食をとりました。病気と付き合いながら六年が過ぎていましたが、食欲もあり、元気だった兄がまさか年末にお国替えするとは、この頃には思いもよりませんでした。「ちょっとなんぼなんでも早すぎるんちゃうか?」これが正直な気持ちです。

 これからは、霊様として小阪教会、上野・名張教会のこと、さらには関西金光学園のことを見守り続けてほしいと念願しています。よろしく頼みますよ!
                        

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