あいよかけよで      教会長      

 今夏、何年ぶりかで広島を訪れた。今回は平和を祈念して…、などと殊勝な気持ちではなく(もちろんそれもあるのではあるが)、第一目的は、今年で見納めとなる広島市民球場での野球観戦だった。
 広島市民球場は1957年、市内の企業や市民からの募金により建設された球場で、原爆と敗戦の傷手からの復興を願う市民の熱意から生まれた広島カープとともに、市民の思いがひときわ強いスタジアムである。
 このたび、設備の老朽化により取り壊しが決まり、広島駅東側のJR用地に新球場が建設されている。私にとって、市民球場での観戦は、人生最初で最後のことであった。

 試合はもちろん阪神戦。14対5で阪神の大勝に終わった。スタンドを埋めたファンの6割強はカープファン。いつもの甲子園とはずいぶん違う雰囲気を味わったが、所変われど阪神ファンによる応援の熱さは天下一品。しかし、なにより感動したのは、カープファンの心温まる応援風景であった。大差の試合に加え、この日の広島投手陣は目を覆いたくなるような体たらく。被安打15本に14四死球。14失点でとどまったことが不思議なぐらい(阪神の攻撃にも今ひとつ精彩を欠いていたように思えたが)。
 しかし、そんな試合運びでも、8割くらいの広島ファンは試合終了まで席を立とうとせず、最後まで応援し続けるのである。何より驚いたのは、どれだけ点を取られても、阪神ファンならは一度は聞いたことがあるだろう、汚い野次がほとんどないのである。

 広島カープは、広島市民にとってかけがえのない息子のような存在なのだと思う。市民の手によって生まれ、そして「樽募金」と呼ばれる市民の浄財によって球場や選手を育ててきた。高度経済成長期以降は、広島きっての大手企業、マツダが筆頭株主となりチームを守っているが、それも裏方に徹し、市民球団としてのプライドを保ち続けているのである。
どのプロ野球チームもそうであろうが、ことさら広島カープとファンの関係は、まさしく「あいよかけよ」の世界の体現と感じた。
 もう来年からは見ることができないであろう、市民球場をバックに走る旧大阪市電を写真に納め、広島を後にした。




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