28年の歳月を超えて   教会長

 平成27年6月20日はたぶん、人生で忘れられない日の1日です。
 金光八尾中学校・高等学校開校30周年記念式典が無事、盛大に、そして感動的に催されました。2年前から準備委員会が組織され、
私は、式典と祭典関係のご用にあたらせてもらいました。
校歌作曲者の杉田二郎先生は、開校3年目の昭和62年10月4日に校歌発表会を催した際、来校くださいました。その時私は大学4回生。
当時、司会を担当された山田一郎先生(片江教会)と音響を担当された田邊政勝氏(善源寺教会)から「二郎さんのお手伝いに来ません
か」と声をかけてもらい、初めて金光八尾を訪れました。当時は日本フォーク界の「超有名人」に間近で会えるだけでうれしかった思い出が。
そして舞台袖でスペアギターを持ち続け、まっさらな校歌を聴いたのがついこのあいだのようです。その頃、私がまさか金光八尾に勤める
ようになるとは夢にも思いませんでした。

このことがあって2ヶ月後、山田先生が再び、杉田先生を囲む忘年会に呼んでくださいました。私は大学時代仲のよかった教会子弟の友人
と一緒に行きました。そこで、別で来ていた女性の二人連れと和気藹々となりました。やがて、そのひとり=佐枝子先生と私は結婚しました。
結婚式の仲人と司会は山田先生。結婚式は当時、吹田市江坂にあったライブハウスで、その一切を田邊氏が仕切ってくださり、二人が出会っ
たご縁の主である杉田先生もご臨席くださり、とても賑やかで楽しい結婚式をさせていただきました。

 その後、私は金光八尾でご用をいただくようになりました。 
今年、開校30周年を迎えた学校は、28年前に校歌を作曲くださった杉田先生をお迎えすることになります。発表会当時は、杉田先生のギター
一本で、校歌を聴いたのですが、今回は吹奏楽部とギター演奏をコラボさせ、生徒・教職員全員で合唱するということになりました。この難しい
局面を乗り切るため、私は田邊氏に音響関係のすべてをお願いしました。前日、当日はそのお手伝いに山田先生も来てくださいました。広い
体育館の最後方にいる吹奏楽部員の演奏と、ステージのギターを合わせるのは、困難を極めましたが、結果は大成功でした(*^_^*)。作曲者と
在校生と教師と来賓が一体になって、金光八尾の30才を祝しました。こんな大合唱の校歌は、今までに聴いたことがありませんでした。28年前
は杉田先生ひとりで歌った校歌を、今回は総勢1300人で合唱することができたのです

 その後、場所を移して開催された祝賀会でも、杉田先生のギターで校歌の大合唱。そして直後に催された教員の「おつかれ様会」に、杉田先生
がサプライズ登場を企画!これも大成功(*^_^*)。大団円となった教員が、アカペラでまたまた校歌を大合唱。開校当初からお勤め下さっている先生
の中には、感動のあまり号泣する方も…。歌の力をこれほど感じた日はありませんでした。また、28年という月日を超えて、杉田先生、山田先生
、田邊氏、そして私をつないでくださった、神様の大きなはたらきにあらためて心を動かされました。

 杉田先生の大ヒット曲「戦争を知らない子供たち」の創作秘話から、うちの校歌につながる「平和への願い」を語ってくださいました。ちなみにうちの
校歌の歌詞に『今ぞひろがる 平和のこだま』『生かされ生くる 喜び永久に 見よや踏みしむ 未来のあゆみ』という一節があります。今の生徒たち
のような若い世代が、戦争を知らない世界で一生を送ることが、杉田先生の何よりの願いであること、私は強く強く共感しました。

 準備段階で、大変なことがたくさんありましたが、金光八尾でご用をいただく一員としてこの日を迎えられたことに、至上の幸福を感じた一日でした。


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