【新聞記者の目
あたしャ伊豆大島は、三原山にすむ月ノ輪熊さ。大島にャ熊はいないはずと言うけど、その通りだよ。昭和七年だったか八年だったかに、土地の動物園を脱走したのさ。

あたしどもの仲間の寿命は二十年か高々二十五年だが、あたしャ三十七か八になる大ババアさ。むかし動物園を飛び出した小娘が、ここにこうしてござるたャお釈迦様でも知るまいよ。これも南海の楽園のおかげさ。

山には強精用のアシタバという野草や、うまい木の実がたくさんある。おかげで戦中戦後の食糧難も知らなかったよ。それにこの山には強敵の動物もいないしね。

  

あたしャ十何年前から、秋になると人里へ降りるようになった。おごった口に落花生が魅力になったためさ。

だけど月ノ輪熊は、人間や家畜には害をしないものなのさ。だから人間どもも害をしないと思ったのに、チョイチョイ狙われるようになったよ。

ある時なんざャ人間ども、東京の動物園から仲間を連れて来た。孤独のあたしの恋愛感情を刺激して、おびき出そうてえ戦法さ。ところがこの熊がメスでさ。おあいにくさま、あたしにャ同性愛趣味はないやね。

今年はいやな予感がしてたけど、とうとう落花生畠で心臓を討たれた。移植もできないからオダブツさ。山神様のご加護で長命したこの平和動物を殺すとは、やはり無慈悲な経済動物さね。残した毛皮は、艶々して真っ黒だよ。


          『よみうり寸評』 昭和43年(1968)よりーーー文:細川忠雄