入院日記
2004.5.28(金)(晴れ後曇り)入院
現在入院している三重中央医療センター呼吸器外科部長坂井Drの外来担当日が毎週月曜日と金曜日だったので28日の金曜日まで待ち、総合病院の検査結果が誤診であって欲しいと望みつつ検査結果資料と紹介状を持ち、坂井Drをたずね受診する。父は廊下で待っていたとき坂井先生の顔を見てとても嬉しそうだった。
この時点では検査や診断の間違いであると信じていたにもかかわらず、持参した過去のレントゲン検査結果フイルムによる診断は、不幸にも総合病院の診断と一致していた。右S3b部位に3cmの肺癌疑いの異常影有り。
診療計画書の説明書きにはどの欄を見ても先の暗い診断結果であった。入院期間30日とあるが余命のことだろうかとも考えてしまう。
病名:「縦隔腫瘍」「肺癌疑い」
2004.5.29(土)(晴れ)父の入院生活日誌より
「朝食7時全部食べる事ができたが無理して食べ、後が苦しい。12時頃娘婿のMと娘が着替えを持って来てくれた。矢張り顔を見ると嬉しかった。2人が帰った後でお母ちゃんに電話する、元気そうな声であったので安心した」
2004.5.30(日)(晴れ)父の入院生活日誌より
「夕べは調子が良かった、朝7時に娘が来てくれる。仕事に行く前にきてくれた、遠いのに有難う。食事中に、喉の調子が悪くなり心配をかけてしまった」
2004.5.31(月)(晴れ)
紹介状宛の、坂井Drは呼吸器外科の統括診療部長であり特定患者を担当としないので、同じ科の、渡邉DrがメインDrとなる。
いつも親切に気に掛けてくれている優しさが心にしみる。
<両医師からの病状説明>
@腫瘍性病変 悪性可能性大
左反回神経→嗄声
@気管狭窄→窒息死
@肺腫瘍→縦隔リンパ節腫瘍張(転移?)
@甲状腺腫瘍性病変(悪性):反回神経麻痺のための嗄声。甲状腺腫瘍が気管を圧迫し窒息が免れない。
肺腫瘍、縦隔リンパ節腫張(転移?)正体を確認したいが気管支鏡検査を行なうと気管が腫瘍により細くなっていて、いつ窒息死するかわからない。
@腫瘍の正体:癌(組織、線、扁平上皮、由来、、様々な種類)を今後確認していく。
@治療方針:手術は広範囲におよび無理なので、放射線治療か薬物(化学療法)となるであろう。
2004.6.1(火)(晴れ)父の入院生活日誌より
「午後3時30分にCT検査。午後、耳鼻科にてカメラにて検査。結果4日後に」
2004.6.2(水)(晴れ)坂井Drと面談
<病状説明>
@病名:組織診断細胞。甲状腺(癌)←悪性甲状腺腫
@治療:放射線治療効果(10gyを考えているが効果−)
@治療方法:手術(根治を目的)は高齢で手術範囲が肺も含めて極めて広いため、体への負担も↑↑、放射線治療の効果は分からない。
あと考えられるのはステント挿入(耳鼻咽喉科)による気管を拡大、気管切開、トラヘルパー。聞きなれない言葉を帰ってはネットでいつも検索していた。
2004.6.3(木)(晴れ)父の入院生活日誌より
「今日は嬉しい日だ。午後1時30分、娘がお母ちゃんを連れてきた。お母ちゃんが元気そうで、とても安心した。娘がよくしてくれる、あり難いことだ」
2004.6.4(金)(晴れ)坂井Drと、渡邉Drの面談
<坂井Drから病状説明>
@病名:声門、腫瘍、甲状腺、悪性甲状腺(癌)腫
@手術=年齢に伴う危険性率が高い
@放射線は個人差があり行ってみないと効果は不明
@薬は効果的でない
@放射線による副作用として、放射線の治療中に気管が今以上に細くなってくることが考えられる。
放射線は個人差があり行なってみないと効果は不明(これって絶望って意味?)。
放射線の治療中に、腫瘍が浮腫を起こし気管が今以上に細くなってくることが考えられるので、気管内に挿管チューブを入れて行なう。
聞いただけでも耐えられないと判断し、父および家族の意向で危険を覚悟で、一か八かの手術を希望した。たとえ年齢が若くても、ここまで進行している癌に対しての手術は不可能だと伝えられる。
渡邉Drの病状説明>
@気管を刺してみた結果、細胞で癌組織が出た。
@気管支鏡検査で声帯から2Cmの位置から始まり5Cmの腫瘍を認める。
@治療方針として@肺と頚部の放射線療法A手術が考えられる。
どちらの医師も、かなり治療に困惑しているのが手にとれるようだった。
放射線照射の副作用で、周囲組織が浮腫については放射線照射により周囲組織が浮腫を起こしてくるので挿管下での放射線照射が必要である。
手術については手術の根治性は低い、また手術範囲が広いため、侵襲に耐えられない可能性もある。
それでも父と家族は医師に手術をお願いした。
渡邉Drが耳鼻咽喉科に話した結果、とても手術は無理だと電話が入る。あゝ本人にどう伝えたらいいのか、また振り出しに戻ってしまった。いったいどうしろというのか、時間ばかりが過ぎてゆく焦りとむなしさがこみ上げるばかり。
2004.6.5(土)(雨)渡邉Drと面談
6月4日の気管支鏡の検査結果3分の2までが腫瘍のため気管が圧迫されていることが確認された。
@放射線照射範囲は左頚部から右肺門部にかけて広範囲になるが他に治療選択肢がない。
@治療方法:手術による根治は不可能。ステント挿入は出血による窒息の可能性があるので不可能。放射線治療のため、両方の鼻から(呼吸確保と流動食の管)の挿管は本人も家族も避けたい旨を伝える。
これでは治療の選択技がない。Drも一緒に考えてくれているのが伝わる。
2004.6.6(日)(雨)父の入院生活日誌より
「朝6時起床、咳が出て少し困る。12時前、娘2人と孫のYが来てくれる。3人が帰った後、明日の検査について知らせがあった。放射線検査と骨のRI検査(頭から足の先まで)。簡単な検査でないだろうが頑張るしかない。
夜、体温37度4分あり氷枕をしてくれた。お母ちゃんに電話して声を聞いた。」
2004.6.7(月)RI検査(骨シンチ)
頭から足の先までの骨が骸骨のような形で映り、骨に転移がないかを見る検査。
この検査は微量の放射線物質を静脈注射し、約3時間以降に上向きに寝た姿勢で撮影するが、約30分の所要時間でかなり息苦しく辛かったようだ。
2004.6.8(火)(雨)坂井Drと面談
病状説明書に人体図を描く手にいつもの勢いがない。いつ逝っても不思議はないので、覚悟を決めるようにと伝えられる。「何もかもが遅すぎました」「お役に立てず申し訳ありません」そんな言葉は要らない。欲しいのは、「分かりました。何とかしましょう」という言葉なのだ。
気管切開のため、肋骨を切っての大手術だが根治が目的ではない。呼吸確保のためだけだが執刀を希望した。それ以外の選択肢がない。
「絶望」という二文字が音を立てて追いかけてくる。
2004.6.9(水)(晴れ)父の入院生活日誌より
「今日は3時ごろより、セキに苦しむ。頭もふらずくし看護婦さんに来てもらって尿瓶。酸素注入器を用意してもらい一寸楽になる。朝食は食べられなかった。今日は育ちゃん来てくれるかな。
渡邊先生の診断午後3時頃、胸部レントゲンをとる。午後5時40分に来ないと思っていた育ちゃんが来てくれ仕事の帰りとの事、朝出勤する際色々用意していたらしい。体の頭から足の先迄きれいにふいてくれた、誰にも真似の出来ないことだ、よくしてくれる。心遣いに本当に頭が下がる有難う。帰りしなにセキが出てきて看護婦を呼んで貰ったりし、心配をかけた。家に帰ったのが遅くなっただろう。また、明日も先生との打ち合わせのため仕事を休んで来てくれる、疲れが出ないか心配だ」
父は退院するときに必要だった靴を左の棚から下ろし持って帰ってくれと、そっと私に差し出す。父と娘は、置かれている現実を受け止めた。
2004.6.10(木)(曇り後晴れ)
肺に直接空気を通す管を入れる手術が6月14日(月)の予定になった。気管切開できないところなので、肋骨を切っての大手術でリスクも高いがそれに賭けるしかない。そのときに、右肺門部にある腫瘍も取るとの説明を受ける。
呼吸確保だけのための大手術には気が進まないが。その後、放射線治療を行なうと本人も含めたうえでインフォームドコンセントを受ける。
2004.6.11(金)(雨)気管切開術
今日の予定は頭部のMRI検査をする予定だったが、極度の呼吸困難に陥り、14日の手術まで待つことができず、K田Drによる緊急の気管切開手術になった。もう限界に来ていたことは分かっていた。
声は失ったが呼吸はとても楽になったみたい。切開時に取り出した頚部の腫瘍部分の生検が5日くらいかかるので癌の正体(扁平上皮癌か腺癌か)を突き止めた上で、治療方法をDrをはじめ本人および家族で検討していく計画だ。
渡邊drの説明:気管が甲状腺部で、硬固に癒着、剥離困難でメスにより暴力的に気管を切開せざるを得なかった事実より、癌の末期で腫瘍をくりぬく形での気管切開術に至った。紹介先の岡波総合病院の山田医師のストーリー通りだ。
2004.6.12(土)(曇り時々晴れ)
今朝、父の顔を見たとき本当にこれでいいのだろうかと自問自答してしまう。導尿カテーテルは、朝抜いてもらったがオシッコの出が悪いうえに残尿感がある。
昼食は、ヨーグルトとお粥をスプーン三口くらい食べたが、食事の時間が恐怖になっているようだった。今後食べられなかったら胃ろう(胃に直接管を通しての流動食)になってしまう。
元気なときには喧嘩が絶えなかったのに、こんなことにならないと家族の絆が分からなかった。
ネットフレンドから「笑って生活すれば癌は逃げていく」と教えてもらったが笑えない。あにたん、いつもありがとう。
2004.6.13(日)(晴れ)
お粥と刻みのおかずを3分の2くらい食べたが、痰の吸引(呼吸困難に苦しみチューブで痰を取る)が1時間ごとくらいにあるのが苦しそうだった。
2004.6.14(月)(晴れ)
お粥は全部食べた。熱があり下痢をしているので、夜中に何度も看護士さんのお世話になっている。和寝巻きからパジャマになる。痰も自力で出せるようになり吸痰の回数も少なくなった。
2004.6.15(火)(晴れ)
食事は何とか摂っているが熱が下がらない。手術で採取した腫瘍の細胞診結果がまだ出ていないので、甲状腺癌か肺癌(扁平上皮癌)かは現時点では不明。
2004.6.16(水)(晴れ)
下痢と熱はあるが、20分くらいの点滴が1日2回になり、つながれている管は喉だけなので体に自由が出てきた。酸素器も昨日は2だったが今日は1になっている。筆談の文字もしっかりしてきた。
2004.6.17(木)(晴れ)
酸素が外されていた。渡邉Drと父と3人で詰所を一周する。三重中央医療センターのDrも看護師さんも、なんて優しいんだろう。
2004.6.18(金)(晴れ)
渡邉医師から組織細胞検査の結果、気管悪性腫瘍(肺癌)だった。扁平上皮癌と腺癌の混じったもので、右肺門部に出来ている腫瘍と同じ種類であるとの説明を受ける。
<気管悪性腫瘍>
気管は口から喉、頸と喉頭、咽頭と連携、その後、食道と気管に分岐、食道は胃に、気管は肺に繋がります。食道の粘膜は扁平上皮細胞に覆われ、胃に入り腺細胞により被覆されます。気管は、最初は扁平上皮細胞により被覆されますが、食道から分岐すると腺細胞になっていきます。このようにして、ガンは粘膜を被覆する上皮細胞の種類により腺細胞ガン、扁平上皮細胞ガンになります。結局、気管ガンは最終分化は肺胞となるので気管ガンは当然「肺ガン」である。
こういうことは、手術して組織を取り出して、病理検査して初めて分かることである。
とりあえず窒息状態からの離脱が得られ、以後の治療が可能となったので21日の月曜日から予定通り、放射線治療科と相談しながら進めていく予定とのムンテラ有り。
渡邉医師から説明を聞いた限り、放射線照射で他臓器への副作用は伴うが放射線治療に一筋の光が見えた。扁平上皮癌なら放射線治療効果に期待がもてそうだ。ギノちゃん最後まで望みは捨てず体力の続く限り一緒に闘おうね。
2004.6.19(土)(晴れ後曇り)
今日は屋根の工事が入っていたので、介護にはいけなかった。Sさんが丹波の黒枝豆によもぎ餅を持って家に来てくれた。