平成16年9月24日
9月24日(金)(豪雨と雷、後曇り雨)天国への旅立ち
朝、病院へ着いたときも浅い眠りから覚めてなかった。
看護士さんは、どなたかお会いする方は?と聞きはするものの、Drは無我夢中でギノちゃんの足から血液を採取し、二酸化炭素の数値を調べてくれている。私は心の中で、「お願いです。もう痰の吸引も何もしないでください」と叫んでいたが、声に出すことができなかった。雷のため停電。
思えば、何かに付け看護師さんはよく見抜いていたような気はするものの、先生は医師として与えられた責務がゆえ、最後まで諦めずに、ギノちゃんの復活に一生懸命だったのだ。
モニターに映るグラフの波が、だんだんと平行になり、数字が0になったとき、私の心はほっとしていたかもしれない。それは、ギノちゃんが苦しみから逃れられるためには、「死」は救いだったからだ。
私が渡邉先生にお礼を申し上げると、先生は、「気管切開をしなかったら、入院後すぐに窒息死していたが、そのことによって言葉と引き換えに与えられた4ヶ月の闘病生活は、私たち親子にとって、決して無駄な時間ではなかったと思う、」と。
事実、父の今までの知らない面にたくさん出会えることができたが。それが返って辛く、元気なときにどうして気が付かなかったのかが悔やまれてならない。
愛する娘2人に見守られるなかで眠るように永眠、午後0時45分。
身体に入っていたチューブ類は、これで全てが抜けた。念願だった喉も塞いでもらえるね。
メインDrは目を潤ませ、ギノちゃんの寝顔に「最期までよく頑張ったね、、」と。そして副看護師Nさんは「いつも、我々スタッフのことばかりに気を使ってくれていた、、」と声をかけていた。
病室をあとに、帰る父を主治医と副看護師長さんに付き添われたまま、7階から特別エレベーター1階の出入り口ドアーが開くと、目の前に呼吸器外科統括部長坂井Drが立っていて軽くうなずかれた。ギノちゃんを見送るために、外来患者さんが居られるにも係わらず、待っていてくださっていた。
死亡診断書欄:直接死因「気管悪性腫瘍(腺扁平上皮癌)」
手術欄:「気管切開術、延命のため腫瘍をくりぬく形で施術」
入院期間:平成16年5月28日〜平成16年9月24日
@治療選択肢:症状を緩和するための、姑息療法のみ(放射線治療は、右肺門部、頚部とも計画通りの35回を全てクリアするが及ばず)
あのような状態から最期を看取ることができたのが奇跡のように思えてならない。そして、父の入院中私は、いつも「いまが1番苦しい時期だから」といってきたが、それは父にではなく自分自身にいってきた言葉だったのかもしれない。

6月11日の気管切開後、声を失ってから9月22日までの筆談メモと、愛するもの全てを残して、ギノちゃんは天国へと旅立った。
入院から最期まで、懸命に治療にあたっていただいた先生方をはじめ、放射線技師さん、それに看護師さんたちには何とお礼を申し上げてよいか分かりません。
本当にありがとうございました。